ゲーオタ人生論

ゲームをクリアして考えたことの備考録

【グノーシア感想】画面を越えるなら優しくして

※この記事は、PSVita・NintendoSwitch移植「グノーシア」を中心にしたADV等(ダンガンロンパシュタインズゲートなど)のネタバレを大いに含みます。グノーシアをクリアしていない方、その他のネタバレを避けたい方は、今すぐブラウザバックをお願いします。また、疑問や質問等がございましたら、是非コメントにお寄せください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ぐぁっ……グノーシアの(おもしろ)力を膝に受けてしまってなあ……。(満足顔)

SFタイムリープ人狼系ADV……どの要素も大好きで、大満足のまま真エンドまで駆け抜けてしまいました。リアル人狼が苦手な自分もサクサク楽しめましたね。レベリングのおかげでだいぶ救われました。

システムだけではなくストーリーにも心惹かれたんですが、考察するほどの論拠や実力が足りなく、考察記事をつくるほどには至れないな……と思ったので、今回は感想記事です。

逆転裁判ダンガンロンパなどの謎解きADV」「STEINS;GATEなどのタイムリープ」「ダンガンロンパV3などのメタフィクション」とグノーシアとの比較熱く語っていきたいと思っております。グノーシア以外の上記ゲームに関して極力核心的なネタバレは避けて書いたつもりですが、嫌な方はブラウザバックをよろしくお願いします。

 

 

謎解きADVとの比較

比較対象として「逆転裁判シリーズ」や「ダンガンロンパシリーズ」を挙げたいと思います。

逆転裁判123 成歩堂セレクション -Switch

逆転裁判123 成歩堂セレクション -Switch

  • 発売日: 2019/02/21
  • メディア: Video Game
 
ダンガンロンパ1・2 Reload - PSVita

ダンガンロンパ1・2 Reload - PSVita

  • 発売日: 2013/10/10
  • メディア: Video Game
 

円卓を囲んで話し合って嘘を見破る構図は、三作品に共通する要素です。逆転裁判は弁護士として被告の無罪を探り、ダンガンロンパはクロ(人殺し)の正体を探り、グノーシアは隠されたグノーシア(人狼)を探ります。謎解きADVが好きな自分としては、グノーシアも非常に満足いくものでした。

ただ、これらの二作品とグノーシアでは明らかに異なる点があります。二作品は「一つの結論に向かって謎を解く」のに対し、グノーシス「謎解き自体はアトランダム」であるのです。逆転裁判ダンガンロンパも、絶対的にその章での犯人は同じであり、主人公がその場においての正義であることも固定です。しかし、グノーシアは毎度犯人も味方も変わります。そして自分が犯人になることもあるのです。人狼ゲーム自体がそうですが、当人自体に罪はなく、あくまで役を与えられたにすぎません。その設定を逆手に取り、グノーシア汚染という形で作中の罪を対処することで、毎度の殺し合いをアトランダムに行うことが可能なのです。

そんなランダムな謎解きによって、謎解きがストーリーの補助になるのではなく、謎解きそのものがゲームの目的となっているのではないでしょうか。事実、クリアまでに何回人狼をやるかはプレイヤーに任されており、1ゲームも長くて15分程度です。(逆転裁判ダンガンロンパだと1裁判で2〜3時間は覚悟するので)

小さな謎解きを繰り返し、そしてその謎解きそのものが目的となっている。それが他の謎解きADVとは一線を画しているところではないかと考えます。

 

タイムリープ作品との比較

タイムリープについては、STEINS;GATE(シュタインズゲート)」と比較していきたいと思います。

STEINS;GATE - PSVita

STEINS;GATE - PSVita

  • 発売日: 2013/03/14
  • メディア: Video Game
 

めちゃくちゃ主観なんですけど、タイムトラベルものはシュタインズゲートが至高というか、ほかに整合性のとれている作品があまり無かったんですよね。「シュタゲを知ったら他のタイムトラベルものが楽しめなくなる」というのは大袈裟ではない気がします。シュタゲは、タイムトラベル作品では避けられないタイムパラドックスの解決がとにかくうまい。

例えば、過去へと遡ったら「二人の自分が存在する」という矛盾について、シュタゲもグノーシアも肉体ではなく、意識だけが戻るタイムリープを採用しています。他の人間の意識は巻き戻されて、主人公の意識だけが今のままま遡るため、過去の世界で主人公が二人存在することはありません。そもそも肉体は遡っていないので。

シュタインズゲートの世界では、並行世界が無限に存在しており、各世界線では一つの結末(大切な人の死など)が絶対的に決まっています。その運命から抜け出すために主人公は過去へのタイムリープで未来を改変し、望んだ未来のある並行世界に辿り着こうとします。

いわば、タイムリープ手段です。そもそもがタイムリープマシンという発明品ですし、「いつ」に遡るかを明確に決めることができます。シュタインズゲートの世界観は強烈な運命論です。その絶対的な運命を覆す唯一の方法が、タイムリープによる過去改変の結果の、世界線再構築なのです。(詳細は割愛)

 

対してグノーシアは、タイムリープというものは現象であり、いかにしてそのループから抜け出すかが目的となっています。ループの始点を意図的に決めることはできず、1ゲームが終わり、グノーシアと人間とバグのいずれかが勝った時点で、必ずゲーム開始時に遡るのです。

ループの原因は、ラキオが所持していた「銀の鍵」にあります。

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銀の鍵は情報収集を目的としています。なので、ループにおいてその始点を変えることはできませんが、自分の役職や人数などの条件を変えることが可能なのでしょう。(メタ的に考えると、様々な人狼を柔軟にやりやすくするためですが……)銀の鍵が何の情報を得たがっているのかは明確ではありませんが、作中では自分以外の14人のプロフィール(特記事項)を得ようとしていました。(セツの銀の鍵に主人公の特記事項もあり、またセツがマナンのことを知っていたため、主人公とセツでは他の13人の内容も違った可能はあります)

ラキオ曰く、銀の鍵を外してループを抜け出すには全ての特記事項を集め、扉を通り抜けて、誰かが向こう側から鍵を抜く必要があるそうです。ループで辿り着く並行世界と、扉の向こうの世界は異なるものなのか、同じものなのかはわかりません。(しかしマナン入りのククルシカに会えてしまっている時点で、扉の先も並行世界の一つに繋がっているだけなのかもしれません)

主人公とセツの銀の鍵の始点についてですが、これはどちらが先かあえて分からないようになっています。主人公とセツのループはアトランダムに進行しており、主人公とセツがそれぞれループを重ねたとしても、そのループ先が順に重なることはありません。セツの1回目が、主人公にとっての100回目というようになるのです。

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ラキオの言う、「疑うな、畏れるな。そして知れ。全ては知ることで救われる」という銀の鍵寄生の合言葉があります。

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その言葉を主人公ループ1回目の際に、セツが主人公に告げて銀の鍵を寄生させるのです。ここから、主人公のループが始まります。

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しかし、その際セツが指していた「昔、銀の鍵をくれた人」が主人公だと教えられます。

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そして事実、まだループしていない1回目の死にかけのセツに、主人公は銀の鍵を寄生させて命を救うのです。(セツの特記事項参照)この時点で主人公は数多くのループを経験しています。

つまり、セツを救うために銀の鍵を手渡した主人公は既にセツから銀の鍵をもらっていて、主人公に銀の鍵を手渡したセツは主人公に銀の鍵を与えられて救われたセツなのです。二人ともがお互いに銀の鍵を与えられているので、これは矛盾しています。それこそ、セツから銀の鍵をもらわない主人公でもいない限り。

そして最終的に、銀の鍵の扉について主人公が開けてセツが閉め、セツが開けてマナンが閉めることで互いのループは終焉を迎えました。(何でこんな複雑な閉め方をしたのか、主人公の二重存在については後述します)

 

さて、シュタインズゲートとグノーシアのタイムリープの仕組みについてざっくり説明させていただきました。グノーシアのタイムリープはこれに二重存在の話も絡まるので、シュタゲの方がシンプルで分かりやすいな〜とは思うのですが、グノーシアはタイムリープを全部体験できる」ため、タイムリープそのものをよりリアルに感じられる点が素晴らしかったのではないでしょうか。

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シュタインズゲート名(トラウマ)場面、無限サイクリング。

これは、シュタゲ主人公がある選択をして無限のループを繰り返している場面です。これは主人公が最終的に進んだ世界線以外での話なのですが、この他にもシュタインズゲートの作中や、またはシュタインズゲートゼロというシュタインズゲート本編のクライマックスの前日譚を描いた作品でも、プレイヤーには見えないところで主人公がめちゃくちゃタイムリープをしているのがわかります。

STEINS;GATE 0 - PS Vita

STEINS;GATE 0 - PS Vita

  • 発売日: 2015/12/10
  • メディア: Video Game
 

シュタインズゲートのプレイヤーは、タイムリープを繰り返す主人公を観測しているという距離感であり、タイムリープをする主人公に並走しているわけではありません。シュタインズゲートはあくまでタイムリープする岡部倫太郎の話であり、ADVというゲームの特性上、プレイヤー≠主人公という構図は尚更強調されていると思われます。(後述しますが、下手にプレイヤー=主人公を強調した方が物語は破綻するので、シュタインズゲートはこの距離感が最適であると思います)

対してグノーシアでは、タイムリープの体験を非常に意図的に設定されていると考えています。主人公とプレイヤーがどれだけ等しくタイムリープを並走できるかどうか。そこに重きを置かれて、ゲームそのものがつくられているのです。

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記念の100ループ。ちなみに自分は160ループでのクリアでした。

銀の鍵自体が非常に秀逸な設定(元ネタはクトゥルフらしいですね)だと思うのですが「他の人となりを知り、様々な人狼をプレイすること」がそのままループの終了に紐づいているんですね。最初は勝てなくても、14人の性格や戦い方を知ることで、どうやったら勝てるかが少しずつわかっていきます。(夕里子・ククルシカは真っ先に凍らせたい、しげみち・ラキオはどうせ勝手に凍るなど)

主人公はループすることで様々な情報を得たり、レベルが上がったりしますが、その各キャラの特性を踏まえて戦おうとするのは、紛れもなくプレイヤー自身の経験です。プレイヤーの判断や経験が、そのまま主人公の糧となるのです。限りなく、プレイヤー=主人公を狙って作られているのだと思います。タイムリープを主人公と共にプレイヤーが繰り返すこと自体が、ゲームクリアへと近づくような巧妙な構造となっています。なので、グノーシアではタイムリープすること自体に意味が生まれているんですね。

シュタインズゲートにおいて主人公のタイムリープが全部は描かれなかったのは、タイムリープそのものにストーリー上の都合と主人公の苦悩以外の意味が薄いからです。案外タイムトラベル作品で、数多のタイムトラベルを繰り返すものは少ないし、シュタインズゲートすら正確には主人公に並走しないのです。

実際に過去に遡りすぎて「あれ? 今回はこの人がグノーシアだっけ。これは前回だっけ?」と記憶の混濁が起きがちなのも、グノーシアのタイムリープがリアルということを物語っている気がします。「純粋たるタイムリープの体験」という意味でグノーシアは時間逆行作品において、非常に革新的であると考えられます。

 

メタフィクション作品との比較

 

最後に、グノーシアをメタフィクションと定義して他作品と比較していきたいと思います。

メタフィクションとは、作中の人物がその世界自体をフィクションと自覚した上で世界に存在していることを前提とした物語ジャンルのことです。それらの中でも、このブログにおいてのメタフィクション「作中の人物が、画面を超えてプレイヤーに話しかけてくる作品」と定義付けさせていただきます。

プレイヤーを責め、負のものと見做す作品として、個人的に思い入れが深いのがダンガンロンパV3です。

毎回、世界観自体のどんでん返しに定評のあるダンガンロンパですが、この作品の最終章では、今までのコロシアイ、また前作までの作品すらも作中劇であったと明かされ、作中のキャラクターが「殺し合いを好んできたファンのせいで君たちはコロシアイをしているのだ」と、限りなくプレイヤーに近い作中のファンを激しく否定します。

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厳密には、作中のダンガンロンパのファン≠プレイヤーではあるのですが、「ダンガンロンパのコロシアイを楽しんできた」プレイヤーがいる以上、作中ファンへの否定はそのままダンガンロンパを好んでいたプレイヤーに刺さったのではないでしょうか。

 

ダンガンロンパV3は、プレイヤーを明らかに敵視しています。つまり、プレイヤーのせいだとでもいうように仕向けるような展開を製作者があえて作っていることになります。これはゲームという媒体は能動性が強いということを逆手にとっているとも考えられます。全ての選択肢は自己選択であるため、やればやるほど、責められて詰られる。このように作られたメタフィクションは、プレイヤーを負の存在と見做すことも可能なのです。

 

さて、比較してグノーシアにおけるメタフィクションを解説するには、主人公の二重存在を紐解かなければなりません。

主人公とセツがループから抜け出そうとする最中、人間ともグノーシアとも違う「バグ」という存在に出くわします。バグは、宇宙そのものを破壊する存在です。なぜ、船内にグノーシアがいるのか、そしてバグが宇宙そのものを壊そうとするのか。それは全て主人公の二重存在によるものです。

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主人公とセツは、夕里子にコンタクトを取ろうとします。夕里子は主人公の認知にも働きかけられるため、ゲーム内のメタ的な役割を担っているとも言えますね。その夕里子から認知を正された、以下、バグラキオの証言です。

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つまり、船内のグノーシアは初めに主人公を消したらしいが、主人公は二重に存在するため、消されたにもかかわらず主人公は存在している。その矛盾を解消するために、バグが宇宙もろとも二重存在を消そうと働いているらしい。では、グノーシアが主人公を消していてどうにか宇宙の均衡が保たれているのならば「船内にグノーシアが存在しなかった場合、本当に宇宙は崩壊するのか?」その問い通り、主人公とセツはグノーシアが0人の平和な並行世界へと辿り着きます。

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束の間の幸せを振り切り、グノーシアに消されていない、もう一人の主人公の元へと向かいます。

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ここで、勿論宇宙崩壊シュレーディンガーの猫の証明を壊すように、箱を開けて二重に主人公が存在していることを互いの主人公が認識してしまったからです。

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主人公とセツは宇宙崩壊を起こさないために、グノーシアがもう一人の主人公を消したグノーシアが必ず存在する並行世界にしか飛べなかったのです。だが、グノーシアが消しているにも関わらず、主人公の歪みで生まれたのが「バグ」。(この辺は推察でしかないが、グノーシアに消されてもグノースのところに意識だけが飛ぶ仕組みなので、本質的にもう一人の主人公を消せていたわけではなかったのではないか、そのためにバグが生まれたのではないだろうか)

誰も消したくない、消されたくない。そんな理想の未来に辿り着けたが、ここでは主人公が二重存在してしまうため、宇宙そのものが崩壊してしまう。

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セツの言うように「皆が犠牲にならないこの宇宙でループを終わらせる」ためには、主人公の銀の鍵を満たし、このグノーシア0人の宇宙で扉を開ける必要がありました。そしてセツは、自分がもう一人の主人公を扉の向こうへと連れていって、鍵を抜くことを提案します。

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これで主人公の鍵はなくなって主人公のループは終わり、二重存在も解消されて宇宙も崩壊せず、さらに他の誰も死なない世界線にいられるということですね。ただこの場合、セツの存在はもう一人の主人公と共にいなくなってしまうことになります。そもそも、セツの銀の鍵はこの時点で埋まっておらず、この扉を潜る前のセツは「主人公に銀の鍵を渡していないセツ」であり、この扉を潜った先で、主人公に銀の鍵を渡さなければ因果が繋がりません。扉の先でセツはループを繰り返すしかないのです。

それでも、ループしていた主人公との記憶を無くしたくないと願うセツは扉の向こうへ消えてしまいます。他の13人に聞いても誰もセツのことを知りませんでした。

ここでノーマルエンドは終わります。二重存在はセツの自己犠牲により解決しますが、そもそも主人公がどうして二重に存在してしまったのか。その解決はありません。

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セツだけがいないタイトル画面。

さて、ここから真エンドに辿り着く方法について、勿論皆さんは知っていると思います。ニューゲーム始めて、主人公を起こしたセツに「映画」もしくは「釣り」の話をします。

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そこで、セツは主人公がループ時の記憶を有していることに気付き、ようやくセツの銀の鍵が全て埋まります。その銀の鍵をマナン(ククルシカ)に受け渡し、マナンが扉の向こうで鍵を抜くことによって、ようやくセツはループを抜け出すことが可能になるんですね。そして物語は真エンドを迎えます。

さてここで、セツは主人公の何に気付いたのかを抑えなければなりません。セツは主人公の特記事項についてこのようなことを述べます。

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主人公は「別の次元から、意識だけを繋いでいる」

さて、別の次元とはどこか。そして、そもそも主人公の銀の鍵は抜けたのになぜループできたのか。

それはプレイヤーである「あなた」自身がセツに会うために取った行動、そのことを指しているのです。「あなた」セツにもう一度会うために、NEWGAMEを押しましたよね? 

ここでセツの指している、別の次元とは「あなた」の住む、ゲームの外の現実世界のことです。ゲームを起動してボタンを押して選択肢を選ぶことで「あなた」はゲーム内に、意識をつなぐことが可能なのです。

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セツは、絶対に記憶を有するはずのない主人公がセツとの記憶を有していることで「プレイヤー」の存在に気がつきました。それが、セツの銀の鍵が気付くべき主人公の特記事項だったのです。

これはただの推察なのですが、そもそも主人公が二重に存在したのも、プレイヤーがゲームを始めたからではないでしょうか。主人公の存在はプレイヤーがゲームを始める前から存在しているようですが、主人公の身体を二重に存在させてグノーシアのように主人公の意識に寄生し、セツと共に歩んだのは紛れもない「あなた」だったのかもしれません。

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セツは最後に感謝を告げます。セツが歩みたかったのは、犠牲にしてまでも守りたかったのはプレイヤーである「あなた」との時間でした。

このセツの言う「君」とは「画面越しのプレイヤー」のことを指しているのでしょう。

つまりグノーシアは、メタフィクションにおける正の物語なのです。共にループを歩んできたセツに、あたたかい感謝を告げられて終わる。そんな救いの話なのだと思います。

 

これは本当に個人的な趣味なんですけれど、自分も好きでゲームをやっているので、ゲームをやったからには、やっぱり最後には「ありがとう」って言われたいなと思うんです。別にゲーム内のキャラクターは画面の外のプレイヤーのことなんて気にしなくてもいいんだけど、もしこっちを向いてくれるとするなら、どうか優しくしてほしい。一緒に歩んでくれてありがとうって言われたい。「わたし」もあなたと歩めて楽しかったから。

最後にセツがありがとうって言ってくれたから、グノーシアは本当にあたたかいゲームだったなと思うのです。このゲームをやってよかったな、と心から思っています。こちらこそありがとうございました。

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最後に製作者インタビューを載せておきます。

なぜ今になってPS Vitaで出たゲームが10点満点・高評価を獲得したのか?『グノーシア』には制作者がこだわる「プレイヤーとの信頼関係」があった――開発チーム「プチデポット」インタビュー